全脳アーキテクチャの歩み

第一回勉強会前において、勉強会の名前を決める際には、一杉裕志氏は「全脳アーキテクチャ」、山川宏氏は「超脳知能」を主張していたが、松尾豊氏が「全脳アーキテクチャ」に賛成したことで今の名前に決定した。 当時、山川宏氏の研究は脳全体を扱うのではなく、計算機で未実現の計算処理を脳から学ぼうとする「理論に基づくニューロコンピューティング」を推進/強調する立場をとっていたため、脳全体をあつかう立場と共存させる意味で、超脳知能を主張していた。 (参考:初回勉強会資料「脳をガイドとして超能知能に至る最速の道筋を探る